長崎税関の歴史
長崎港は、鎖国時代におけるわが国唯一の外国との窓口で、海外からの物資や文化はすべて長崎の出島を通じて我が国にもたらされました。
幕府は、はじめ長崎奉行が支配する長崎会所、湊会所で一切の貿易業務を取り扱わせていましたが、安政の通商諸条約の締結により、長崎・神奈川・箱館が開港し、長崎港に運上所が設置され、外国貿易に関する徴税事務、荷改めなどの業務を行わせました。これが長崎税関の始まりです。
室町 | 元亀2年 (1571年) |
ポルトガル貿易の開始 |
安土桃山 | 天正16年 (1588年) |
秀吉の直轄領となり、長崎代官鍋島直茂、貿易を取りしきる |
江戸 | 寛永13年 (1636年) |
出島商人25人により出島完成 |
元禄11年 (1698年) |
長崎会所設置 | |
安政6年 (1859年) |
長崎・神奈川・箱館(函館)の3港を開港、湊会所設置 | |
文久3年 (1863年) |
長崎運上所設置(湊会所を運上所と改称) | |
明治 | 明治5年 (1872年) |
11月28日運上所を税関という呼称に統一(現在の税関記念日) |
明治24年 (1891年) |
梅ヶ崎庁舎竣工 (※写真は明治時代の長崎税関庁舎) |
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明治25年 (1892年) |
税関旗が制定 青いところが”海と空” 白いところが”陸地” その接点に”税関”があることを意味する |
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明治42年 (1909年) |
長崎税関門司支署が長崎税関から独立して、門司税関となる | |
大正 | 大正12年 (1923年) |
長崎港に日華連絡船就航 |
昭和 | 昭和3年 (1928年) |
現在地に長崎税関庁舎竣工 |
昭和18年 (1943年) |
税関閉鎖(第二次世界大戦により税関官制廃止、海運局に併合) | |
昭和20年 (1945年) |
原爆投下、旧長崎税関庁舎甚大な被害を受ける。アメリカ第8海兵師団司令部が税関庁舎を接収 | |
昭和21年 (1946年) |
税関再開(門司税関の管轄として長崎・佐世保・三池・三角・鹿児島に支署を設置) | |
昭和28年 (1953年) |
長崎税関として門司税関から独立(支署:佐世保、三池、三角、鹿児島) | |
昭和28年 (1953年) |
奄美群島本土復帰 | |
昭和44年 (1969年) |
現長崎税関庁舎竣工 | |
昭和60年 (1985年) |
八代支署設置(三角支署を出張所に改称) | |
平成 | 平成8年 (1996年) |
全国統一密輸ダイヤル(24時間対応)を設置 |
平成13年 (2001年) |
省庁再編 (大蔵省から財務省へ再編) |