2006. 第16号
 
職場探訪   尼崎税関支署 
TOPICS   税関にまつわる最近の情報です
連載「税関古掘れ話」   税関に関する古いお話です
貿易統計情報   外国貿易統計を紹介します
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職場探訪
◎尼崎税関支署

 尼崎税関支署の沿革と管内貿易動向        

 尼崎税関支署は、明治40年(1907年)に尼崎税関監視署として設置されたのに始まり、昭和16年出張所に昇格、昭和29年(1954年)尼崎港開港指定を経て、昭和30年(1955年)8月税関支署に昇格しています。平成19年(2007年) には尼崎税関監視署設置100年を迎えます。

 尼崎市南城内に所在する当支署の現庁舎は、昭和31年に竣工したものですが、尼崎市編纂の「尼崎市史」第3巻所収の大正9年測定の地図には、現庁舎の位置より少し西に税関監視署が記されています。当時の税関は海岸線近くに所在していたのですが、その後南部の海域に埋立地が次々と造成され、船舶は埋立地の岸壁に接岸されることとなり、現在、税関は港頭地区から遠く離れた所に位置することとなりました。

 明治半ば紡績業等の繊維産業で幕開けした尼崎の産業の近代化は、大正期には鉄鋼産業に代表される重化学工業化が始まり、重化学工業化は、戦前昭和期における工業用地造成(鶴町、末広、扇町)を経て、戦後の高度経済成長時代まで続き、日本経済を牽引する役割を果たしました。その間大量の地下水が使用され、深刻な地盤沈下をもたらし、市内の40%が海面より低い「ゼロメートル地帯」となり、1950年のジェーン台風時には高潮により市内の約3分の1が浸水するという大被害をもたらしました。そこで尼崎市の三方を取り囲む高い防潮堤が建設(1955年完成)され、防潮堤内の水位は堤外よりも低位に管理され、水位の異なる水面を船舶がパナマ運河のように航行できるよう閘門(こうもん)が造られました。工業用水も現在は神崎川及び武庫川から工業用水道にて供給されています。昭和30年代までは、大型船けい船岸壁は南部臨海工業地帯(末広、扇町)の企業の私設バースのみであり、また閘門の有効水深は5.5メートルと浅いため、閘門外の海域に埋立地(東海岸町)が造成され、当該埋立地に1966年から73年にかけて水深10メートルの公共バースが建設されました。

 輸出入額及び品目構成の50年間の推移を振り返ってみますと、ダイナミックな形で変動しています。
 1960年代半ばから80年代初めにかけては、税関と地場産業及び港とが密接に結びついていた時期であるということができます。この時期については、輸入は石炭、鉄鉱石が大きなウェイトを占めており、石炭等の輸入貨物は尼崎港における企業の私設バースで卸されています。輸出の主力は鉄鋼であり、1978年には鉄鋼の輸出数量が最高を記録(658千トン)しています。当支署で通関される輸出貨物は大部分が他港積みでしたが、東海岸町埋立地に公共バースが完成すると、主として鉄鋼の輸出に活用され、1974年には尼崎港の外国貿易船入港隻数が第1のピーク(277隻)に達しました。1981年には尼崎港の総船積数量が最高を記録し、同年の鉄鋼の当支署輸出通関数量(656千トン)の約50%が尼崎港で積まれています。
 
      
 しかし、阪神地域の産業構造の変化に伴い、尼崎税関支署の輸出通関総額は1982年をピーク(1,973億円)に減少していきます。鉄鋼の輸出は1985年以降急減し、それに伴って、鉄鋼輸出は尼崎通関・他港積みという形に逆戻りすることになります。石炭の輸入も1995年をもって終了します。尼崎芦屋西宮港(1985年開港の港域拡張、港名変更)の利用は低下していき、1996年には外国貿易船入港隻数もボトム(128隻)となります。

 貿易額等の推移を物流の観点から見てみますと、1980年前後より、保税制度が有効に活用され、神戸港、大阪港や空港で卸された貨物が当支署において通関されるという形で、輸入の増加傾向が顕著に現われてきます。1984年には、大手製薬会社が当支署管内の保税倉庫において高価額の医薬品の輸入通関を行うようになったこと等により、当支署の輸入通関総額は一つのピーク(934億円)を迎えます。その後、石炭の減少により一時下降しますが、医薬品に加え、神戸港・大阪港卸しの食料品の増加により再び上昇に転じ、1993年には輸入総額は最高を記録(943億円)します。医薬品の輸入がなくなった後も、食料品、特に肉類の増勢が続き、2005年には輸入総額は96年以来の高水準を記録(691億円)します。輸入は現在も増加基調にあるということができます。当支署で通関された輸入貨物は西日本各地に供給されています。阪神地域が物流拠点としての機能を発揮していく中で、現在当支署管内には38箇所の保税蔵置場が港頭地区に限らず広く点在し、港から少し中に入った所で税関行政が展開される形となっています。

 最近においては、鉄鋼スクラップの輸出や、砂の輸入の増大によって、尼崎西宮芦屋港の利用は拡大し、2002年には外国貿易船入港隻数が最高を記録(291隻)しています。

    
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トピックス
◎保管紙幣等の虫干し
        
 終戦記念日を間近に控えた8月7日に旧館4階会議室において、1年に1度の保管紙幣等の虫干しを行いました。

 税関では、終戦後の昭和20年9月から28年8月の間に外地から引き揚げの際、
  ・ 引き揚げのため集結した外地において領事館等に預けられた紙幣・証券類
  ・ 日本の上陸地の税関・海運局等に預けられた紙幣・証券類
を保管しており、持ち主等にお返ししています。

 保管中の主なものは、紙幣(日本銀行券、台湾銀行券、南方開発金庫券、満州中央銀行券等)と証券(国債、公債、株券、預金通帳、生命保険証書等)です。

マスコミ各社も沢山来られました

 神戸税関に問い合わせていただければ、、全国の税関で保管されている紙幣・証券類の調査をいたします。お心当たりの方はお問い合わせください!!

 (問い合わせ先)   
   神戸税関監視部特別監視官
     078−333−3122
    E-Mail: 
k-tokkan1@kobe-customs.go.jp

 
◎60年ぶりに家族の元へ
        
 まだ厳しい暑さの残る8月29日、境港税関支署において戦後中国から引き揚げる際に現地で証券等を預けられた加根好太郎さんの妻、加根道枝さん(80歳)に対して返還式を行いました。

 昭和21年の引き揚げから60年の節目となる今年6月末、加根さんはお孫さんと一緒に中国を訪問され、かつて暮らしていた本渓市などを見て帰国。間もなく証券等の返還促進に係る記事を見て当支署に照会されたもので、郵政貯金簿2通、郵政証券4枚が横浜税関に保管されていた。

 返還式の後、2台のTVカメラと大勢の報道関係者に囲まれ、投げかけられる様々な質問に対して、当時の思い出を蘇らせながら、ゆっくり、穏やかに語られる加根さんが印象的でした。
 
インタビューを受ける加根さん 返還された郵政証券等
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連載「税関古掘れ話」(最終回)
 外国貿易の発展

 日露戦争を契機に外国貿易もいちじるしい進展をみる。明治44年の条約改正により、日本は、はじめて完全な関税自主権を確立し、関税による産業保護政策を推し進める基盤を得るが、同時に行われた関税定率法の改正では、国内産業の保護とならんで、輸出貿易の拡大伸長に大きな考慮が払われ、関税政策の面からも貿易の増進が図られる。

 まず、次表のとおり輸出額は、明治36年に2億8,950万円であったものが、戦後の明治43年には4億5,842万円となって1.6倍、輸入額は、同じ期間に3億1.713万円から4億6,423万円となって1.5倍、輸出入総額では6億663万円から9億2,266万円へと1.5倍の増大を示している。


 次に、個々の品目別の構成をみてみよう。次表のとおり、輸出では生糸・綿織糸・綿織物・陶磁器などがいちじるしく増加しており、とくに綿織物の増大が目立つ。絹織物も増加しているが、綿織物にくらべて、その相対的な比重は低下している。また、国内における重工業の発展にともなって、重工業関係製品の輸出がみられるようになったが、その割合は少なかった。輸入では、羊毛・油槽・鉄類・毛織糸・機械類などが相当増加している。鉄類や機械類の輸入増加は、日本の重工業がこの戦争を契機としてかなりの程度に発展しながら、なお、自給の段階からは、ほど遠かったことを反映している。


 それでは当時の神戸の町の様子をみてみよう。大正のはじめ、神戸の東西に2つの「文化施設」が生まれる。下山手通6丁目の「神戸YMCA」会館と湊川新開地の「聚楽館」である。まだ屋内集会場のなかったそのころYMCAは山の手、聚楽館は下町と分かれて神戸の町にようやく「文化」の風が吹き込むのである。

 神戸YMCAの歴史は明治19年、のちの同志社大学長、原田 助らが設立した「神戸基督教徒青年会」にさかのぼるが、正式にYMCAとなるのは明治32年である。下山手通6の神戸教会の付属施設としてスタートする。次いで大正2年1月11日、下山手6丁目に新館が建つが、これが第1期会館。ここで神戸YMCAは初期「黄金時代」を迎える。新会館はレンガ造り、半地下1階、地上3階建て、延べ2,530平方メートル。1階には約220平方メートル、高さ6メートル余りの、日本で初の屋内体育館を兼ねたホールを持ち、ドイツから取り寄せたグランドピアノが据えられている。

 建築費の9万円(現在の企業物価で約9,000万円)は、アメリカ・ワシントンYMCAのウッドワード会長が寄付し、敷地は募金による3万円(現在の企業物価で約3,000万円)でまかなわれている。会館には寄宿舎が併設され、これが若者の人気の的。部屋代7円、食費3円。会費50銭も含めて1月10円50銭あれば生活ができる。当時の消費者物価で、入浴料が3銭、現在を300円とすると約1万倍、米10キロ、1円70銭程度とすると現在は約3千倍、仮に平均約6千倍とすれば、10円50銭は6万3千円となり、かなり割安感がある。

 屋内スポーツではバスケット、バレー、他にインドア・ベースボールを最初に市民に紹介している。このインドア・ベースボールとは現在のソフトボールのようなものであろうか。関西学院の学生時代に神戸YMCA会員として活躍した宮田守衛がアメリカで学び、持ち帰ったものといわれる。月、水、金は洋式スポーツ、火、木、土は柔剣道を指導し、生徒は勤労青少年である。この活動はやがて第一銀行、スタンダード石油の実業団、神戸二中、神戸高商などの強力なバスケットチームの母体となる。

 一方、聚楽館の誕生はYMCA会館よりひと足おそい大正2年8月18日。洋式の建築様式から経営システムなど、そっくり東京の帝劇を手本にした堂々の3階建て、室内装飾もルイ王朝時代風の豪華絢爛たるもので、床には真紅のじゅうたん、花道は設けず、1,500人の客席は全部イスという画期的なものである。

 「帝劇」は、現在の東京都千代田区丸の内にある帝国劇場の通称名。1911年、明治44年3月に渋沢栄一、大倉喜八郎らの手によって建てられた日本初の洋式劇場で、設計は横河民輔、ルネサンス様式の大劇場である。

   「今日は帝劇、明日は三越」

 という宣伝コピーは当時の社会に消費時代の幕開けを印象付ける名文句であり、日本中にその名が知れ渡る。イタリア人の音楽家ローシーを招いてオペラを上演し、話題を集めたほか歌舞伎やシェイクスピア劇なども上演されている。しかし、残念ながら12年後の関東大震災で外郭を残して焼け落ちてしまう。現在では、大晦日に年末ジャンボ宝くじの抽選会場としておなじみの劇場である。

 話を神戸の聚楽館に戻す。館名の「聚楽」は豊臣秀吉の「聚楽第(じゅらくだい)」からとったもので、当時、正式には「じゅらくかん」であったが、市民は「じゅらく」といわずに「しゅうらくかん」と呼び、いつのまにか、これが正式名称となった。

 千成びょうたんのマークもあざやかに、開場は大正2年9月1日。そのはなばなしいコケラ落としのねらいは、松竹資本への対抗である。

 役者も舞台も一流、館内は洋式デラックス・ムードいっぱい、神戸っ子の話題になるのも無理はない。入場料は特等から3等まであり、3等席でも他の芝居小屋に比べ10銭から20銭高い。大正11年9月1日の調査では、特等1円50銭、1等1円、2等60銭、3等40銭で、別に下足料として2銭とある。館内には貴賓席もあり、上流社会にとって入場することがエリート意識を満足させることになり、客席は社交場としてのにぎわいを見せている。こうして華やかな「しゅうらっかん」も大正の末期になると、徐々に創立当時の「高級なだしもの」は次第に大衆化していく。

 「朝日に輝く朝日館、水に流れる菊水館、看板でごまかす松本座、ええとこええとこ聚楽館」

 大正4年には、こうしたざれ歌が新開地に流れる。この大衆化で「ええとこええとこ聚楽館」の名は大いに上がるが、人気とは逆に、内情は次第に苦しくなり、ついに映画館に転身、やがて恐れていた松竹の興行資本に併合されていくのである。

 現在、神戸市民が愛した娯楽の殿堂「聚楽館」の跡地には、「新開地周辺まちづくり協議会」から熱い要望を受け誘致されたといわれるアートでビビットな建築物、ラウンドワンという7階建てのボーリング場が建ち、巨大なボーリングのピンが平成の新開地を見下ろしている。

※この連載は本号でひとまず終了させていただきます。
 ご愛読ありがとうございました。

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今月の貿易統計

 

【2006年7月分】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/00boueki_top.htm

神戸港 輸出 4,833億円 (前年同月比+ 9.5%) 6ヶ月ぶりにプラス
輸入 2,129億円 (    同  + 8.0%) 26ヶ月連続プラス
全 国 輸出 6兆3,211億円 (    同  + 14.2%) 32ヶ月連続プラス
輸入 5兆4,612億円 (    同  + 16.8%) 29ヶ月連続プラス
%は前年同月伸率、+は前年同月と比べた増加、▲は前年同月と比べた減少)
一口メモ
 神戸港における輸出入の総額は、6,962億円(+9.1%)と32ヵ月連続のプラスとなりました。7月としては、歴代2位、震災後では最高額です。

 輸出額は、世界的な資源開発の活況を背景に建設用・鉱山用機械が好調な伸びを示した他、欧州、北米での薄型テレビ需要が旺盛なため、音響・映像機器の部分品が大幅に増加し、9.5%の伸びとなりました。

 一方、輸入額は、たばこ、医薬品などが、昨年7月に減少した反動もあって大幅に増加し8.0%の伸びとなりました。

 主な地域(国)別の輸出入総額では、アジア、中国、EUが過去最高を更新しました。なお、中国との貿易額は輸出、輸入及び総額すべてが7月分として過去最高となり、3年連続してそれぞれの過去最高額をしました。また、神戸港輸出入総額が歴代1位である1991年7月と比較すると、中国との貿易額は、輸出は約3倍、輸入は64%増、総額は約2.5倍となっています。
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お知らせ

 


◎求む情報!中四国の釣好きにお願い!(水島)

  
 この度、発行部数約2万部を誇る中四国地域の海釣月刊誌『レジャーフィッシング9月号』(8月5日発行)に“税関への密輸情報提供の協力依頼文”が見開き2ページに亘って掲載されました。

 今回の掲載の経緯は、本年6月中旬、水島港周辺の情報収集中に出会った釣り人から、投げ釣り愛好家の全国組織「全日本サーフキャスティング連盟」なる組織が存在すること、同連盟の岡山支部には約700人もの会員が所属していること、釣り場等の情報交換のため40人あまりの代表者が参加する意見交換会が隔月で開催されているということ等を聞き、その会員の方々に情報提供を依頼すれば有力情報が得られるのではと考えたのが発端でした。


 早速、同岡山支部の会長に面談し協力依頼を行ったところ、会長は非常に海を愛する正義感の強い方であり、快諾を得ることができ、会長は税関の業務内容についても承知されており「税関はもっと効果的なPRが必要なのではないか」と、ちょっと手厳しい助言もいただき、更に会長が毎月執筆している冒頭の月刊誌のコラムに“密輸情報提供の協力依頼文”を掲載していただけることになったもので、日頃の地道な努力が思いがけない好結果を生むことになりました。




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注:記事に関するご意見や投稿は神戸税関総務部広報室(koho@kobe-customs.go.jp)まで
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