2005.09 第6号
 
職場探訪   業務部 原産地調査官
TOPICS   税関にまつわる最近の情報です
友の会(今月の訪問者)コーナー   皆様の参加コーナーです(投稿・歓迎いたします)
連載「税関古掘れ話」   税関に関する古いお話です
貿易統計情報   外国貿易統計のトピックスを紹介します
お知らせ   今月は税関からのお知らせです
 
 
職場探訪
◎業務部 原産地調査官
   
 2002年の日本・シンガポール経済連携協定の締結・実施を皮切りに、今、わが国はグローバルなルール作りのためのWTO(世界貿易機関)新ラウンド交渉と並行し、地域間・二国間のアプローチであるEPA/FTA(経済連携協定/自由貿易協定)を多くの国との間で推進しています。本年4月1日から日本・メキシコ経済連携協定が発効・実施されているところです。

 さらに、フィリピン、タイ、マレーシア各国との交渉が大筋合意に至り、経済連携協定条文を交渉中です。その後にはASEAN、韓国、インドネシアとの交渉など目白押しの状況です。

 これら経済連携協定のスムーズな実施と実効性の確保には、中核の1つである貿易分野で執行を担っている税関の役割が重要です。このため、平成17年7月より、新たな機構として税関業務部に原産地調査官部門が設置されました。当部門は特に経済連携協定に基づく輸出入貨物に係る原産地の認定やその実施状況についての調査、情報の収集・整理に当たっています。たとえば、メキシコ協定の原産地証明書が手元に届いたけれど「記載不備があるのですが」とか、「第三国を経由した貨物は日・メキシコ協定税率の適用を受けられますか」といった質問、相談を毎日受けています。書式、印影等についての質問の回答には、相手国に照会することもありえ、十分な時間的猶予をお願いする場合がありますので御理解下さい。
原産地証明書と輸入品との対査確認 輸入品の表示確認

 
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トピックス
◎平成17年度税関モニター活動 START!
         〜9月5日 モニター委嘱式〜
 時計塔通信vol.1でも紹介いたしましたが、税関では、国民の皆様に税関の仕事をご理解いただき、皆様からのご意見・ご要望等 をお聞きすることによって、事務運営の改善に役立て、行政サービスの一層の向上に努 めるため、平成13年度から税関モニターを実施しております。  
 今年度も神戸税関では、神戸港に加えて、地方港の躍進・貿易量の拡大等を考慮し、管轄する中国・四国地方の支署(境・水島・広島・坂出・松山)においても、モニター制度を実施しております。 各地方港独自のご意見・ご要望もお聞きすることにしております。

 同時に準税関モニターともいえる時計塔通信の会員のみなさまからの意見もお待ちしておりますので今後ともよろしく御願い致します。
税関モニター委嘱式 旧税関長室
麻薬探知犬デモンストレーション
◎小学校社会科作品展 in コミスタこうべ
 「今、コミスタ神戸(神戸市生涯教育学習支援センター)で市内小学生の夏休みの宿題を展示しているんだけどその中に神戸税関を題材にしたものが、展示されてたよ」
 との時計塔通信の会員の方から連絡が入りました。

  早速、翌日コミスタ神戸(神戸市生涯学習支援センター)に見学に行って来ました。
  神戸市内の小学校各校から優秀な出展作品約600点が展示されている小学校社会科作品展(9/10〜9/19)が行なわれていました。神戸市の歴史や区内のお好み焼き調査、日本全国キャンプめぐり等等、様々なおもしろい研究作品がある中、税関の仕事を題材にした作品がなんと3点も展示してありました。
  自由課題で税関を選んだ理由を知りたく思い拝見したところ2点は、春休み親子税関教室の参加者。1点は広報展示室見学者の方でした。内容は、見学したときからさらに勉強した努力の跡が見られる素晴らしい出来栄えでした。

 「何でそこまで麻薬が欲しいの!」
 「頑張れ!麻薬探知犬。ワン!ワン!ワン!」
 「たくさんの人に麻薬探知犬のことを知って欲しくて調べることにしました。」

等、税関冥利に尽きる嬉しいことが書かれており熱くなりながら全部読ませていただきました。
  将来の日本。期待していいんじゃないですかね!

コミスタ神戸(神戸市生涯学習支援センター)とは、神戸市が運営する子供からお年寄りまで、生涯学習活動をバックアップする交流と学びの場です。
 
 
コミスタ神戸 約600点を展示
作品をクリックすると拡大します★
 
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友の会(今月の訪問者)
遠里小野小学校PTA
   〜浪速の肝っ玉お母さん〜
 秋といえば、行楽シーズン。
 ここ神戸税関でも広報展示室の団体見学申し込みが一番多いのが秋です。9.・10月で約45団体の見学予定があります。
 そんな中から今回は、9月9日、大阪府は住吉区から来関された遠里小野小学校PTA32名と校長先生の神戸税関見学模様を紹介致します。

 小学校のPTAだけあって若いお母さんたちは、元気一杯。笑顔一杯。同PTAでは、定期的に社会科見学を行なうことにより新しい知識と会のまとまりを深めることを心掛けているとのこと。

 今まで案内させていただいた団体の中でも1.2を争う明るさを持った浪速のお母さんたちは金属探知器の使い方も積極的で広報室員も重点的に身体検査されました。もちろん異常なし(笑)
あるお母さんは探知器が人間の股間に反応がすることに疑問を感じ、答えを探してました。その方は粘り強く色んな方を検査。その結果Gパンの方には反応があるのにスカートの方からは反応がないことにヒントを得て答えを導きだしました。
 チャックに反応すると言う答えを!(お見事です)
 
 見学後にコメントを求めたところ
「堅い税関の印象だったが来てみてよかった」「子供を連れてまた来て見たい」「子供を税関職員にしたい」
等、最後まで元気一杯のみなさんでした。ありがとうございました。
税関庁舎の歴史も勉強 メモを取る程の熱心さ
☆団体(10名以上)で税関広報展示室見学を申し込まれた場合、9階屋上もご案内いたします。
☆見学申し込みはコチラ
http://www.kobe-customs.go.jp/40koho/00koho.htm
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連載「税関古掘れ話」E
神戸港と貿易の開始 
 
 さて、神戸運上所が正式に開設される、慶応4年、1868年2月5日の前日、伊藤俊輔判事は、各国領事に対しその旨を次のように通告している。

 「一筆啓上候、然ば明五日より運上所相立、夫々役向の者出勤為仕、商法無碍為取計可申候間、此段貴国商人へ御触渡可被下候、税銀等は条約書税則に隋ひ可相納候様申付置候に付、此段御承知可被下候為其如此御座候、以上」

 次いで2月17日には、一般人に対して金50両をこえる輸入取引はすべて運上所へ届けるべしと布告した。当時、この金50両の価値は一体どのくらいの価値だったのか。時期が幕末の混乱期に当たり、諸物価が高騰していたため慶応年間(1865年〜1867年)の米一升を1000文とし金1両を約6500文〜7000文とすれば、現在の米1升が約800円で金1両は約5,200円〜5,600円の価値しかなく、金50両は現在の価値で約26万円〜28万円というところであろうか。

 外国人商館の置かれる外国人居留地の建設は6月に第1期工事が完成し、7月には第1回の競売が36区画について実施され、翌明治2年(1869年)春には約200人の外国人が神戸に住みついている。こうして神戸港における貿易が本格的に始まる。開港からしばらくの間、貿易は振るわなかったものの、東北の戦乱以後、急速な伸展を見せ始める。横浜に在住の外国商人たちが戦火を避けて神戸に店を移すようになり、さらに各地から貿易取引に従事するため国内の商人も多数集まり始め、内外の貿易商人の数は次第に増大していったのである。この結果、明治元年(1868年)8月、9月頃から神戸港の貿易は活況を見せ始める。明治元年(1868年)における神戸港の貿易額は次表のとおりで、既に輸入額で68万円、輸出額で44万円に達している。


 輸出入品目を見てみよう。輸入品目は横浜と大きく変わらないが、輸出に関しては「茶」のウェイトが大きく、生糸を上回っていることが神戸港の特徴を示している。では、当時の庶民の生活はどうだろう。次表は明治16年における、各種労働者の平均賃金表である(但し、表中の仕立職と僕婢給は月給である。)。

             「富国歩ミ初メの図」(クリックで拡大します)


 明治元年(1868年)当時、須磨の海は、今とはくらべものにならないひなびた美しいたたずまいである。まるで「春の海ひねもすのたりのたりかな」とよんだ蕪村の世界そのものである。松並木の穏やかな海岸を東に向かい、幅約3.6メートルの西国街道がまっすぐに伸びている。

 西国街道は、九州と畿内を結ぶ主要幹線として、多くの旅人の往来に利用されてきた街道である。その歴史は長く、大宝元年、西暦701年の大宝律令に端を発し、山陽道の名前で大宰府に向かう官道として整備されている。以後、九州から畿内間の交易で賑わう重要な陸路として栄えた山陽道は、長い年月の間にその位置を変え、江戸時代に入って西国街道と呼ばれるようになったのである。

 西国街道は、今に残る道筋を通ってその足跡をたどることができる。京都から現在の国道171号線沿いを進み、西宮から海岸沿いを芦屋の打出まで来た街道は、ここで内陸部を進む大名行列などに利用された「本街道」と海岸沿いを進む庶民の生活道路として利用された「浜街道」にわかれ、生田筋で合流している。この地域の発展は、この西国街道を行き交った多くの人々の往来によってもたらされたのである。明治に入り、西国街道は、ますます主要な道路として利用されるが、昭和2年、1927年に国道2号が完成し、その役割が承継される。

 この西国街道を須磨から東へ今の離宮公園の東を流れる天井川を越え、西代村(長田区)に入ると、山側には青々と蓮ノ池(現在の蓮池小学校)がひろがっている。このあたり、山側は農家、海岸沿いは駒ケ林の漁師の家が点在するだけで、一面の田んぼが続いている。断髪令が布告されるのは明治4年、1871年の夏のことであり、漁師も農民も頭にはチョンマゲをのせ、粗末な木綿の着物を着て暮らしに追われている。

 民家の屋根はほとんどがカヤぶきで「須磨の前田のカキツ(垣津)のなかに、アヤメ咲くとは知らなんだ」と俗謡にうたわれた庄屋、前田邸のカワラ屋根だけが、網引天神の北、現在の須磨警察署あたりに、その威容を誇っている。

 しかし、須磨から約2時間、苅藻川、現在の新湊川を渡ると景色は一変する。兵庫の町の西の入り口は、柳原惣門である。江戸時代の柳原惣門には公用のため、人足25人、馬20頭が常に用意され公用の掲示板、いわゆる高札場があったといわれる。惣門は、織田信長の家臣、池田恒興による兵庫城の建設に伴い、造られた外曲輪の土塁に沿って建っていた門と思われ、出入り口として機能していたのである。残念ながら明治8年(1876年)の土塁の撤去に伴い、門も撤去されたものと思われる。このヤナギを植えた惣門をくぐり、柳原蛭子(えびす)の社殿を右に見て浜辺へ降りると、突き当たりは舟入場である。米、糸、ナタネ、酒問屋などが軒をつらね、舟入場の西側には俳人蕪村の後援者で知られた豪商北風邸と青物市場がある。東北の方には堂島の向こうを張った兵庫の正米寄り場いわゆる米穀取引所と魚市場があり、戸数5千、人口2万の“あきないの町”は「売った」「買った」の掛け声で朝から晩までわき返っている。

 人力車の登場まであと数年を待たねばならず、乗り物といえばカゴとウマ、あわてもの同士がぶつかるくらいで、交通事故など夢にも考えられなかったよき時代である。浜に出ると海岸は半円状に開け、西の方には松林が続く先端に和田岬の砲台が見え、東には湊川が巨大な三角州を作っている。大阪以西では指折りの「あきないの町」兵庫をあとに、東の出入り口湊町惣門をくぐる。湊川堤防に上がり、湊橋を渡る。現在のガスビル(新開地本通)の北付近、約500メートルで道端に福原内裏の区条割りの基点にしたと伝えられる差方塚があり、左へ約100メートル細道をたどると、こんもりした森につつまれて楠公墓のお堂がある。このあたり、海岸には船大工や漁師の家が散在し、宇治川の水車の音がのんびり野面を渡っている。

 宇治川から東がようやく“夜明け前”のわが神戸である。西国街道は、現在の元町商店街から大丸神戸店北側、生田神社参道、センター街、国際会館南側を経て脇の浜へ抜けている。今でこそ代表的な繁華街だが、当時は非常にさびしい半農、半漁の村である。一番西が走水村(現在の元町7丁目付近)で人家は140戸程度、次が二ツ茶屋村(現在の元町4丁目付近)で約300戸、次の神戸村(現在の元町3丁目から滝道付近)はやや大きく、500戸を越えているが、合計しても人口はわずかに3,700人である。

 神戸村のはずれ、鯉川(現在のJR元町駅東側の鯉川筋)を越えた海側では、当時26万平方メートルというだだっぴろい土地で居留地が造成の最中である。現在の神戸地方合同庁舎東詰めには、広大な和洋折衷のガラス張りで、2階建て(階上120坪、階下136坪)の運上所がそびえている。運上所の建物は“ビードロ”(ガラス窓)が日光に反射してキラキラと色彩を放ったため、驚いた市民は「ビードロの館」と呼び、多数見物に訪れている。

 三宮神社から生田神社の参道、この“生田さん”のあたりは、見渡す限りの田畑と空き地である。明治4年(1871年)、参道と生田川の間の空き地で居留地の外人の競馬大会が行われており、いかにものんびりとした時間が流れている。
    

 西の兵庫に比べ、すべてが2番手だった“神戸地区”は、開港の後、急激な発展を見せる。波止場も満足にない丸はだかの港で身振り手振りの貿易が始まる。その新しさが西国街道を往来する旅人や船乗りの口から各地に伝わり、新天地をめざし、ぞくぞくと人が流れ込み始めたのである。神戸港の夜明けはもう目の前である。

 
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今月の貿易統計

 

 

【2005年7月分】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/01shiryo.htm
                   
神戸港 輸出 4,412億円 (前年同月比+  3.8%) 20ヶ月連続プラス
輸入 1,969億円 (    同  +  4.3%) 14ヶ月連続プラス
全 国 輸出 5兆5,357億円 (    同  +  4.3%) 20ヶ月連続プラス
輸入 4兆6,622億円 (    同  + 11.6%) 17ヶ月連続プラス


一口メモ    
  ・ 神戸港における輸出入の総額は6,381億円(前年同月比3.9%増)と、20ヵ月連続プラスとなりました。
  ・ 輸出額は台湾向けの鉄道用車両などが減少しましたが、アメリカ向けの建設用機械、アルジェリア向けの自動車などが増加したことから、前年同月比3.8%増の伸びとなりました。
  ・ 一方、輸入額は中国からの音響・映像機器(含部品)などが減少しましたが、鉄鋼製品製造に使われるチリからのモリブデン鉱や中国からのバナジウム酸化物などが増加したことから、前年同月比4.3%増の伸びとなりました。
  ・ なお、対中国の輸出と輸入を合わせた総額では単月として過去最高でした。

【貿易トピックス】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/02topi_top.htm
 
 「高度な育成技術の結晶が世界各国で“芽”となる「野菜の種」の輸出」
       
 ポイント
     
1. 昨年の神戸港の全国シェアは、数量、価額ともに第1位
2. 全国ベースでは、昨年は価額で過去最高(77億円)を記録
3. 日本の育種技術は世界トップクラスで国際的にも高い評価
 
     
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お知らせ

 

◎「みなとKOBEの原風景」展からC

 4月30日のメモリアルフェスタでは、(財)人と防災未来センターの協力を得て、終戦直後から60年近く、神戸港や異人館等を独特のタッチで描き続けられている  元鉄道マン「宇佐美 重」氏の「みなとKOBEの原風景」特別展を開催しました。

 当日、ご来場できなかった方に、特別展で展示した懐かしい作品をシリーズで紹介します。



   
突堤の荷役風景
昭和28年4月画

昭和25年に民間貿易が再開されると神戸港は再び貿易で賑わった。

当時は、クレーンは使われていたが、荷役の中心は人力に頼る部分が多く、本船の荷役には多くの人が関わっていた。

貿易の進展と朝鮮戦争終結、国際情勢の安定等で、昭和34年2月に第6突堤を最後に全ての港湾地帯の接収解除。
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注:記事に関するご意見や投稿は神戸税関総務部広報室(koho@kobe-customs.go.jp)まで
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