2005.12 第9号
 
職場探訪   業務部 知的財産調査官
TOPICS   税関にまつわる最近の情報です
友の会(今月の訪問者)コーナー   皆様の参加コーナーです(投稿・歓迎いたします)
連載「税関古掘れ話」   税関に関する古いお話です
貿易統計情報   外国貿易統計のトピックスを紹介します
お知らせ   今月はお知らせです
 
 
職場探訪
◎業務部 知的財産調査官
 最近、マスコミ等で「知的財産権」という言葉を耳にする機会が増えています。今回は、知的財産調査官の業務内容と合わせて、知的財産権と税関との関係についてもご紹介します。

 皆さんご存知のとおり、平成14年2月に小泉首相が施政方針演説で「知的財産立国」を提言して以降、国を挙げて知的財産を戦略的に創造し、保護し、活用していこうという取組みがスタートしました。知的財産権の保護は、公正な経済・産業活動を確保し国際競争力を強化するという側面と共に、粗悪な偽物から消費者を守るという面もあります。税関における知的財産権侵害物品に対する取締制度もこれらの取組みの一翼を担っており、差止件数は年々増加傾向にあり、差止点数は年間100万点に及んでいます。



 法律を見てみると、「特許権、実用新案権、意匠権、商標権、著作権、著作隣接権、回路配置利用権又は育成者権を侵害する物品」(関税定率法第21条第1項第9号)は輸入が禁止されています(平成18年3月より「不正競争防止法第2条第1項第1号から第3号までに掲げる行為を組成する物品」が加わります(第10号))。つまり、これらの知的財産権を侵害する物品は麻薬、覚せい剤、けん銃、偽造貨幣等と並んで輸入禁制品であり、税関はこれらの物品が国内へ流入することを阻止するという責務があるのです。

 知的財産権侵害物品に対する水際取締制度は、輸入差止申立制度と認定手続制度の二本柱から成り立っています。輸入差止申立とは、権利者が自己の権利を侵害すると認める貨物が輸入されようとする場合に、税関長に対し、当該貨物の輸入を差止め、認定手続を執るべきことを申し立てる制度です。認定手続とは、税関が権利侵害の疑いがあるとして差止めた貨物について侵害か否かを判断するための手続です。

 知的財産調査官は、主に、輸入差止申立の受付と認定手続に関わる事務を行っています。申立てを受理する場合は、権利内容や差止対象品が権利を侵害しているか否かなどの受理要件について十分な審査をします。認定手続の際には、権利者と輸入者双方から提出された意見や証拠に基づき、公平な立場で権利侵害の該非について判断しています。また、侵害疑義物品を発見するために不可欠な税関職員の知識の習得を目的として、申立てを提出している権利者を講師とした識別講習会を開催したり、知的財産調査官が関係業界で行われるセミナー等で税関の水際取締制度について説明を行ったりしています。
識別講習会の様子

関税局・税関ホームページの「知的財産権侵害物品の取締り」のページ(http://www.customs.go.jp/mizugiwa/chiteki/index.htm)では、今回ご紹介した各制度を始め税関で取締まっている知的財産権についてもわかりやすく解説しています。また、現在どのような申立てが税関で受理されているかを検索することもできます。是非一度ご覧下さい。



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トピックス
◎大盛況!第7回かすたむすフェスタ of神戸税関
        
 11月23日気持ちいいほどの晴天の中、かすたむスフェスタを行いました。時計塔通信会員様の協力もあり念願の入場者数3千人という素晴らしい結果を残すことができました。ありがとうございました。
 今回はフェスタの様子をお届けいたします。
 
開かれた神戸税関 麻薬探知犬デモンストレーション
ホールコンサート
ハッスル!!神戸税関音楽隊 カスタム君大活躍
返還紙幣を旧税関長室で展示 採用相談コーナーでは熱心な希望者が!
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友の会(今月の訪問者)

日豪税関友好の輪   
 今月の最初のお客様は赤道を超え、オーストラリアから来られたElliottさんFamilyです。
 お父様のRoger Elliottさんは、なんと元オーストラリア税関職員!今年の夏に税関を退職された後、奥様のLucyさんと娘のVeronicaさんと様々な国をゆっくり旅行されておられるそうです。
 さすが元税関職員だけあって、広報展示室でも興味津々。対する広報室職員も興味津々、日本の印象やオーストラリア税関との違い等について色々質問をしたかったのですが、次の訪問予定地である高松行きのフェリーの時間が迫っていたため、慌しい見学となってしまいました・・・。そこで親切なElliottさんは私たちの質問に後日メールで答えてくれることになりました・・・。


 To  Kobe Customs
Public Relations Officer

 Thanks for your E-mail. We are now back in Australia after our visit. We
 enjoyed our Japanese experience very much and are planning another visit
 next year, as we would like to visit Sapporo and Hokkaido.
 The things that were most enjoyable about the visit were the food,
 restaurants, service, and people everywhere were willing to try and help
 even with limited English language skills. I must not forget to mention the
 Japanese transportation systems, the Shinkansen clean, efficient and on
 time! Or the beautiful temples and gardens.
 We enjoyed our trip to Takamatsu on the Jumbo ferry unfortunately my camera
 ran out of battery just as we were passing under the massive suspension
 bridge! So I didn't get any shots of it.
 Thank you for your help during our visit to your Customs museum we found it
 extremely interesting. Customs in Australia is very similar in the various
 areas we cover except we do not look after Excise Tax that is now operated
 by The Australian Tax Office. We do operate the Travellers Refund Scheme (
 GST) by departing passengers.
 We arrived at Kansai airport. I found the forms layout and questions very
 similar to Australia. Your Customs Officers were very smartly dressed with
 jackets and hats. The Officers dealing with us were courteous and helpful.
 In Australia our uniform clothing is a little less formal. I did not see any
 Customs drug detection dogs or Quarantine dogs being used at Kansai. In
 Australia they are used extensively at International airports.
 I retired from The Australian Customs Service on July7th 2005 but of course
 I still find it very interesting to see how other Customs Services operate.
 During the years before I retired I was attached to the Enforcement
 Operations area in Brisbane our main tasks were Commercial Shipping and
 Foreign Yacht arrivals by boarding with the emphasis on the detection of
 prohibited imports. We carry out patrols of the waterfront and yacht marinas
 by land and water.
 From time to time some other tasks are carried out with other Government
 agencies. Australian Customs has a number of seagoing Patrol boats and a
 special Southern Oceans patrol in conjunction with Fisheries Protection.
 --
 意  訳

 神戸税関広報室の皆様へ

 メールありがとう。私たちは、無事にオーストラリアに帰りました。日本での体験は大変楽しく、来年は、北海道の札幌を訪れたいと思っています。
 最も楽しかったことは、食事、レストランその他あらゆる場所で、日本の方々が、うまく通じない英語で、懸命に私たちを助けてくれようとしたことです。清潔で、効率的しかも驚くべき正確な新幹線など日本の交通機関も忘れることはできません。
 ジャンボフェリーで高松に向かう途中、ちょうど大橋の下で、残念ながらカメラのバッテリーが切れてしまい、一枚も写真が取れませんでした。
 興味深い神戸税関の展示室を訪れたときには大変お世話になりました。オーストラリア税関も同様で、オーストラリア国税局が取り扱う内国消費税業務を除くさまざまな業務を取り扱っており、出国旅行者の戻し税業務(GST)も行っています。私たちは関西空港を利用しましたが、申告書のレイアウト、質問の内容もオーストラリア税関と非常によく似たものでした。
 日本の税関職員は、スマートに制服、制帽を着こなし、礼儀正しく丁重な対応でした。オーストラリアの制服はややカジュアルです。関西空港では麻薬探知犬や検疫犬は見かけませんでしたが、オーストラリアでは各国際空港で広範囲に使用しています。
 私は2005年7月7日にオーストラリア税関を退職しましたが、他国の税関の活動には大変興味があります。退職前の数年間、私はブリスベーンの取締部門で主に商業貨物や国境を越えて入港する外国籍ヨットを対象にした輸入禁制品の摘発を行っていました。時代の流れと共に、さまざまな業務が他の官庁に移管されました。オーストラリア税関には監視艇が配備され、南方の特定海域では乱獲規制にも一役買っております。
船内検査に臨むエリオットさん
(クリックで拡大)↑
監視艇による海上巡回
(クリックで拡大)↑

 今後も、広く世界の皆様に愛される神戸税関を目指して、広報職員一丸となって頑張ります!!


”税関探検隊参上!!”   

 11月11日の金曜日、かわいい五人衆(神戸市西区北山小学校の大野君をリーダーとする精鋭達)が税関業務の勉強のため、来関しました。何やら小学校の教育の一環でグループ学習という授業があり、各グループがそれぞれのテーマに沿って神戸の様々な施設を探検隊という名のもとに、調査や見学を行うらしい。今回訪れたみんなは、展示室を自由見学した後に広報室にやって来ました。
 色々と質問があるとのことで室内にエスコート。
 すると、着席と同時に各々が、素早い動きで筆記用具を準備。やる気満々の気配にちょっぴりたじろいだ瞬間、質問状が目の前に出現。
 みんなはどこで下調べをしたのでしょうか?素人とは思えない税関業務への質問の数々。質問内容に思わず感動。
 みんなの熱意に応えるべく資料や映像を使い勉強会を行いました。ちょうど1時間ほど勉強したでしょうか。みんなそれぞれの質問結果をまとめることができました。
 そして、屋上に場所を移し神戸港の特徴を説明し会を終了することとなりました。
 先月の中学生に続き今回は小学生と貴重な時間を共有することが出来ました。みんなのいい発表会の結果のお知らせを待ってます!!


◆今回は、勉強会の最後にカスタム君の絵を即席で描いてもらいました。色々な表情をした、5人のカスタム君。
みんな素敵です。(カスタム君画像へリンク


広報室で勉強会!! 屋上でスマイル!
画像クリックで拡大します
☆団体(10名以上)で税関広報展示室見学を申し込まれた場合、9階屋上もご案内いたします。
☆見学申し込みはコチラ
http://www.kobe-customs.go.jp/40koho/00koho.htm
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連載「税関古掘れ話」H
茶貿易の展開 


 神戸は、背後に上質茶の産地を抱えており、各国商社はその買い付けに懸命である。横浜のアメリカ商社スミス・ベーカーなどはすでに慶応3年、1867年9月から店員の大谷嘉兵衛を大坂に派遣し、宇治茶など70万斤、26万8千両を買い付けている。このようにスミス・ベーカーをはじめ、一群の茶貿易商社がいちはやく神戸に進出している。

 茶は、ヨーロッパ人、特にイギリス人の生活には欠かせない商品であり、茶の輸出は、神戸開港早々から始まるが、当初の5年間に6倍に増加し、全国比重は明治元年、1868年で10%あまり、明治5年で30%に迫り、神戸港総輸出額の62%、年額180万円と神戸港第1位の主要輸出品に躍進する。その後、比率こそ下がるが、明治25年ごろまでは依然輸出品の首位を占めている。特に明治4年、アメリカが茶の輸入税を廃止してからは、急速にその勢いを伸ばしている。神戸の輸出茶の出荷地域は、山城を中心として近江・伊賀・大和・紀伊・丹波・美作・伊予・筑前に渡っている。しかし、生産者は海外の知識がまったくなく、仲買い商のいいなりである。ところが、仲買い商は外国商館に頭が上がらず、中国人の商館番頭には法外な手数料を取られており、茶の生産から輸出の過程は開港当初の貿易の姿を典型的に示しているといえる。

 こうしたなかでスミス・ベーカーなどの商社の営業は順調に伸びる。特に新進のアーサー・ヘスケス・グルームの発展はめざましい。グルームは、慶応4年、1868年3月、グラバー商会の社員として長崎から神戸に現れ、武器の売込みを担当していたが、翌1869年に茶貿易部門に転じている。彼は、同年8月、海岸雑居地(現在の栄町通)で中之町喜多屋四郎左衛門の田地を永代借地し、明治4年のグラバー商会の廃業を契機に、モウリヤン・ハイマン商会を設立して茶焙作業所を設けている。その後、居留地内のイギリス101番館に移り、明治13年には横浜居留地1番に進出して生糸貿易にも手を広げている。明治10年代にはいるとモウリヤン・ハイマン商会は、とうとう神戸と横浜の双方で茶貿易の首位を占め、「六甲開祖」と呼ばれるに至る人物である。

 外国商館は、明治2年から店舗や倉庫内に茶焙再製作業所を設け、明治5年には11か所を数えている。茶焙再製作業所は「お茶場」「茶倉」または「茶焙所」と呼ばれるもので、買い付けた茶に、もう一度「火入れ」をして湿気を取り、長い船旅に耐えられるようにする作業所である。一番茶から8月までの季節操業で労働者は、粉場雇女と詰方男夫と呼ばれている。

 毎朝、午前4時前、まだ真っ暗な森に連なる生田神社の参道で、作業所に行く「茶より娘」の市が立つ。脇浜や新生田川のあたりから女たちが弁当をさげて続々と集まってくる。定刻の午前4時になると「看貫」という中国人の茶倉支配人が現れ、自分の作業所の日当額を触れ回り、必要な人数を作業所に送り込む。あぶれたらたちまちその日の生活にことかく状態の女工たちだから、何とか雇ってもらおうとこの「手配師」に泣きついたり、取入ったりする者も多い。

 作業所は、通風もないレンガ造りの平屋で炉に鉄ナベを並べている。この何十、何百の焙炉(ほうろ)がいっせいに活動を始めると倉の中は熱気でむせ返る。上述したスミス・ベーカーやモウリヤン・ハイマンは700から800の釜数を持っている。

 そこで、一回40分以上茶の攪拌(かくはん)を10時間から12時間続けるのである。若い娘でも、袖なしじゅばんに真っ赤な腰巻ひとつという姿で汗と染料にまみれて働いている。棒切れを持った中国人の監督がいつも見回っていて、一瞬の休みもとれない。夏にはあまりの暑さに卒倒する者も出るが、井戸水を浴びせて再び仕事につかせる。夕方、やっとその日の仕事が終わると賃金を貰い、厳重な身体検査を受けてようやく開放されるのである。

 「恋で身を焼く八百屋のお七 天保(銭)で手を焼くお茶ほうじ」

 当時はやった歌がその哀れさをよく現している。疲れきった彼女らが家路につくみすぼらしい姿を日本茶の競争相手だったセイロンの業者が写真にとり「日本茶はこのような女工によって作られている。茶の上に油が浮くのは彼女らの汗である。」といって揶揄し、宣伝に利用したという話が残っている。
 詰方の仕事は梱包や運搬で、比較的常雇いが多い。明治4年、兵庫県戸籍の職業記載に八部郡宇治野村風呂谷の地主二人と革商の息子達が「米十八番テリシン異館日雇い」とあるが、この「テリシン異館日雇い」とは、当時中位クラスのアメリカ商館、ウオーレン・ティルソン商会のことで、息子達はここで日雇いの詰人夫をしていたのであろう。

 ところで、この汗と油の一日の労賃はどのくらいであったのか。明治20年の資料では男12銭、女9銭とある。これを当時の物価と比較してみたい。変動幅が大きいが、米は明治20年9月で1升(1.8リットル)8銭から9銭5厘、人力車が十町(1.1キロ)以内3銭、十町以上が5銭、一里(4キロ)以内7銭とある。仕事がきびしくとも、賃金が安くとも、とにかく茶ほうじ工は貧しい彼らの大きな収入源なのである。

 話を税関に戻そう。「運上所」の名称は、幕末以来一般に用いられてきたが、明治の4、5年にもなると翻訳的な用語が流行し始める。外からはいってくるものはすべて新鮮な時代なのである。運上所もまた一部で「税関」と呼ばれるようになり、公用文でも両者が混用される事態となり、不都合が生じ始める。そこで、大蔵省は、横浜運上所本局からの申出もあって、明治5年11月27日付で、当時の正院(せいいん)に次の伺いを提出している。この正院とは、明治4年(1871年)に設置された最高官庁で、廃藩置県後の官制改革で誕生し、左院、右院の上位にたち両院とともに太政官を構成していた組織である。
伺いの内容は

 「従前開港場各港運上所ノ儀ハ称呼区々或ハ税関或ハ運上所ト唱ヘ不致一定不都合ニ付今後各港共何港税関ト称呼候様相達可申ト存候此段伺候也」

 とある。つまり「各海港の運上所は、税関と呼んだり、運上所と呼んだり不都合でかないません。今後は各港とも税関と呼ぶことにしたいのですが、よろしいでしょうか。」というわけである。
 これに対して、早速、翌日の明治5年11月28日、「伺之通」に認める旨の指令を受け、以後、全国的に運上所の旧称を廃止し、晴れて「税関」の名称を統一して使用することとなるのである。そこで、この指令を受けた歴史的な11月28日を現在の税関記念日にしたのである。

 なお、呼称の統一に関して、陸奥租税頭から横浜運上所本局、中島租税権頭あての書面通知は、翌年の明治6年1月4日付となっているため、公式の呼称統一は明治6年1月である。

 次に、なぜ税関が大蔵省の所管となったのだろうか。旧幕府時代に設けられた各開港場の運上所は、それぞれ、その地を管轄する奉行の支配下に置かれているが、明治維新以後は、はじめは各地の裁判所の長官のもとに置かれ、その後、府または県が設けられてからは、各地の府・県の長官の統轄下に置かれ、それぞれその事務を処理している。ただし、箱館運上所だけは、明治2年7月以降、北海道開拓使の統轄下にある。

 一方、明治新政府の中央機構としては、慶応3年の王政復古と同時に、とりあえず総裁、議定、参与の三職が設けられるが、この時点では、運上所の中央統轄機構というべき組織はまだ見当たらない。こうした機構がはじめて設けられるのは、慶応4年1月17日、この三職のもとに七科が置かれてからのことで、この七科のうちの外国科が、運上所の事務を統轄することになる。しかし、この機構の存続は非常に短く、わずか一月足らずの同年2月3日には、さらに官制が改められて三職のもとに今度は八局が置かれ、この八局のうちの外国事務局が外務及び海関税務を統轄することになる。

 次いで、同年4月には五箇条の誓文に基づく政体書により、三権分立の建前をとった七官の制度、議政官、行政五官及び刑法官の計七官が採用され、行政五官のうちの外国官が、新しく運上所の事務を統轄することになる。ところが、さらに明治2年7月8日に版籍奉還後の官制改正により、今度は、二官六省の制度が採用され、運上所は六省のうちの外務省に属することになる。

 以上のように、明治新政府のもとにおける運上所の事務は、主としてその外交的な面を重視して外務を主管する中央機構の統轄下に置かれるが、維新の草創期をすぎ、外国貿易もしだいに軌道に乗ってくると、運上所の主管も、ようやく財務管理の面に留意して再検討されるようになる。すなわち、廃藩置県後の明治4年8月10日の官制改革に伴って、それまで外務省の管轄に属していた各開港場の税務及び運上所は、最終的に明治4年8月28日、太政官において大蔵省の所管に移す決定をみるのである。

 この決定により、神戸運上所も翌明治5年5月13日、直轄となる大蔵省の租税寮から派遣された七等出仕、厚東樹臣によって兵庫県庁から事務の引継ぎを受けている。この際、東西の両運上所詰職員、監視関係の監船及び巡警課の職員合計62名を初めとして、運上所の建物、波止場、波止場敷地及び倉庫など運上所の管理していた財産すべてが引き渡されている。しかし、大蔵省に移管されたといっても、運上所における業務の内容が変わるわけではない。神戸運上所の機構そのものも従前どおりであり、厚東樹臣を長として、検査、税額、収税、翻訳、庶務、監船及び巡警の7課の組織である。ただし、監船と巡警の両課は、明治5年7月17日に併合されて巡警吏となり、さらに明治5年10月12日、この巡警吏は監吏と改称されたうえ、陸海の2課に分かれている。このように神戸運上所は、機構の整備と共に業務の充実が進行し、運上所の職員数も増加する。このため、旧幕府によって建設された東運上所は、窮屈この上ない。兵庫県は、明治5年2月、手狭となった東運上所の拡張改修工事に着工し、1年10ヵ月後の明治6年12月になってようやく石造り2階建て、上下各160坪(528平米)の新庁舎が完成する。翌明治7年1月2日に開庁したこの庁舎は、海に面する正面に菊の御紋章がさん然と輝く立派なもので、大正11年2月19日に不慮の失火によって消失するまで、神戸税関の本館として使用されるのである。
神戸税関初代本館庁舎

 現在、神戸税関の広報展示室では、この初代神戸税関本館庁舎の模型を常設展示しております。ご興味のあるかたは、ぜひご来訪ください。小さいながら、菊の御紋章も再現しておりますので、ぜひ一度ご見学願います。

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今月の貿易統計

 

 

【2005年10月分】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/01shiryo.htm
                   
神戸港 輸出 4,455億円 (前年同月比+ 1.4%) 23ヶ月連続プラス
輸入 2,093億円 (    同  + 6.3%) 17ヶ月連続プラス
全 国 輸出 5兆9,099億円 (    同  +  8.0%) 23ヶ月連続プラス
輸入 5兆877億円 (    同  + 17.8%) 20ヶ月連続プラス


一口メモ    
 神戸港における輸出入の総額は6,549億円(前年同月比2.9%増)と、23ヵ月連続プラスとなりました。

 輸出額はアメリカ向けの医薬品などが減少しましたが、アメリカ向けの建設用・鉱山用機械、ドイツやロシア向けの自動車などが増加したことから、前年同月比1.4%増の伸びとなりました。地域別にみると半導体等電子部品や金属加工機械などが減少した中国が不調でしたが、船舶の増加したパナマや音響・映像機器の部分品の増加したメキシコなどの好調により全体としてプラスを維持しました。

 一方、輸入額はフィンランドからのリチウムイオン電池の正極材料となるコバルトなどが減少しましたが、アメリカ、ドイツからのたばこ、中国からの衣類及び同付属品などが増加したことから、前年同月比6.3%増の伸びとなりました。地域でみると通信機などが増加した中国の伸びが全体を牽引しました。

【貿易トピックス】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/02topi_top.htm
 
 「世界的なジーンズブームを追い風に急成長「デニム」の輸出」
       
一口メモ
 かつてジーンズといえば若者のラフな普段着という印象でしたが、最近ではおしゃれなファッション衣料として定着しており、1着2万円以上する高級ジーンズ(プレミアムジーンズ)を中心に売れ行きが好調とのことです。

 ジーンズの素材であるデニムの輸出は、2000(平成12)年頃から始まった世界的なジーンズブームを追い風に急増しており、昨年の全国及び神戸港の輸出実績は、数量、価額ともに過去最高を記録しました。なお、昨年の神戸港の全国シェアは数量、価額ともに第1位で、実に8割近くを占めています。

 
     
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お知らせ

 

◎「みなとKOBEの原風景」展からE

 4月30日のメモリアルフェスタでは、(財)人と防災未来センターの協力を得て、終戦直後から60年近く、神戸港や異人館等を独特のタッチで描き続けられている  元鉄道マン「宇佐美 重」氏の「みなとKOBEの原風景」特別展を開催しました。

 当日、ご来場できなかった方に、特別展で展示した懐かしい作品をシリーズで紹介します。



   
南氷洋捕鯨母船「図南丸」
昭和36年4月画

 神戸港は捕鯨母船の基地でもあった。秋に神戸港を出航、南氷洋で操業し、春に帰港

 母船式捕鯨船団は、キャッチャーボート、冷凍船、運搬船など21隻にのぼることも

 母船は新港第5突堤に着岸。岸壁が満杯のときは新港の各突堤に運搬船が停泊。

 昭和30年から続いた捕鯨母船の入港も捕鯨禁止に伴い52年で幕を降ろした

◎在りし日の時計塔
  〜昭和40年頃の神戸税関庁舎の写真をご覧ください
画像をクリックしてみてください
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注:記事に関するご意見や投稿は神戸税関総務部広報室(koho@kobe-customs.go.jp)まで
投稿歓迎(お待ちしています)
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