2005.10 第7号
 
職場探訪   調査保税部 事後調査部門
TOPICS   税関にまつわる最近の情報です
友の会(今月の訪問者)コーナー   皆様の参加コーナーです(投稿・歓迎いたします)
連載「税関古掘れ話」   税関に関する古いお話です
貿易統計情報   外国貿易統計のトピックスを紹介します
イベント情報&お知らせ   今月は税関のイベント情報とお知らせです
 
 
職場探訪
◎調査保税部 事後調査部門
   
「時計塔通信」愛読者の皆様こんにちは。こちらは「調査保税部事後調査部門」です。
 私たちの仕事は一般の方にはなかなか馴染みのない仕事かもしれませんが、一部の方からは恐れられているかもしれません。

 私たちの仕事「事後調査」とは、輸入貨物に係る関税額の確定方式が、昭和41年(1966年)にそれまでの賦課課税制度(税関が税額を決定)から申告納税制度(輸入者の申告により税額が確定)に変更になった後の昭和43年から、申告納税制度を補完し、適正な納税申告を確保して、課税の公平を図ることを目的としており、貨物の輸入後、直接輸入者の方を訪問して質問し、また関係書類・帳簿等を見せていただき、海外との取引の実態、契約内容、課税価格の決定方法、適用税番などを調査して、 輸入時における申告の内容に誤りがなかったかどうかを調査・確認し、不適正な申告があった場合にはこれを是正するとともに、輸入者の方に対する適切な申告指導を行う仕事をしています

 したがって、関税等を免れるために、安い価格で申告したり、書類を偽造したりして輸入申告するような悪質な輸入者にとって私たちは恐れられる存在です。

 本年10月からは新たに「重加算税」が導入され、隠ぺい又は仮装行為により税を免れた悪質な輸入者に対しては、今までより重い加算税が課されることになります。

 私たちの職場は神戸税関本関の新館3階北側にありますが、広い管轄内にある輸入者の調査を効率的に行うため、水島税関支署内に「岡山事務所」と広島税関支署内に「広島事務所」を設置しており、総勢66名の職員がおります。輸入者の方の事務所等へ赴いて、調査をすることが私たちの仕事であるため、事務所は常にガランとしていることが多いのが常態です。適正な輸入申告を指導し、課税の公平を図ることを目的として実施しているもので、今日も調査官達は飛び回っています。
 
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トピックス
◎第22回境港水産まつりに神戸税関音楽隊参加
         〜10月9日〜
 境港市内で10月9日(日)、8万人を集め開催された境港水産まつりに神戸税関音楽隊も参加しました。
 神戸税関境税関支署の監視艇「だいせん」号の体験乗船やカスタム君による密輸防止キャンペーンと神戸税関音楽隊演奏。日本海側の重要拠点鳥取県境港での広報活動。神戸税関は地方港での活動も積極的に行っていきます。
第22回境港水産まつり カスタム君と職員による密輸防止キャンペーン
神戸税関音楽隊によるコンサート 監視艇「だいせん」号体験乗船
 
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友の会(今月の訪問者)

大盛況!広報展示室!!   


 今月も、全国各地27団体の方々が神戸税関展示室見学に来られました。その中から6団体の方の記念写真を掲載いたします。(画像クリックで拡大します!)
 各団体の皆様には見学後に
      Q.印象に残ったことは、何ですか?
の質問を代表の方数名にさせていただきました。その意見をいくつか紹介いたします。

「海外からものを輸入するときにかかる税金(関税)は、国内産業保護の観点からという理由を知って勉強になった」

「象さんの足を椅子にしたもの(ワシントン条約該当物品)にびっくり」

「昨年のMDMAを6万錠もテーブルに隠していたのを発見した事例にはびっくり。そういったものを水際でこれからも阻止して欲しい」

「ひとえに麻薬といっても様々な種類があるというのが勉強になった」

「これからも日本の水際をがっちりと守って欲しい」

「屋上からみた景色は絶景。感動した」


等、様々なお言葉を頂戴いたしました。分かり易く楽しくをモットーに広報室員が口に磨きをかけて!?ご案内させていただきますので奮って税関見学にお越しください!
徳島県青少年補導員のみなさん 奈良県三笠公民館のみなさん
奈良県斑鳩生活学校のみなさん 東京都桐朋高校のみなさん
兵庫県つつじ学園有志会(1班) 兵庫県つつじ学園有志会(2班)
徳島県藍住町のみなさん(1班) 徳島県藍住町のみなさん(2班)
☆団体(10名以上)で税関広報展示室見学を申し込まれた場合、9階屋上もご案内いたします。
☆見学申し込みはコチラ
http://www.kobe-customs.go.jp/40koho/00koho.htm
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連載「税関古掘れ話」F
神戸港と貿易の開始 
 通商条約上の兵庫開港場は神戸地域に決定して、その公称もやがてこの地名によることになる。税関もはじめは兵庫運上所で、慶応4年1868年2月の再開の際には神戸運上所となっている。同年10月、神戸・二ツ茶屋・走水三か村が合併して神戸町となり、港も公文書に「兵庫・神戸両港」と記されている。実は当時は、開港場の神戸と非開港の兵庫とが隣接したもので、両港水域の境界線も外交上の合意による港則で確定されたのである。

 開港場の港湾施設は、条約上政府の義務であり、当面必要な埠頭(波止場)の造成と浚渫(しゅんせつ)は、兵庫裁判所の管轄で着手されている。波止場は艀(はしけ)による貨客の荷役・乗降場で、まず運上所前に、船渠(ドック)を基にした波止場を築いている。その周辺の浚渫も5月には終了し、従来の船溜りも一部改修している。さらに4月、神戸西本町(現在の中突堤付近)に貨物検査を行う荷改所を設けて、これを西運上所と呼び、以来本局を東運上所と呼んでいる。内国の西洋型船舶の荷役作業は、西運上所前の波止場に限られたので、その波止場は国産波止場と呼ばれ、今日に至っている。

 次にこの両埠頭の中間で鯉川尻に船客乗降場を設け、それは最初のアメリカ仮領事館(現在の海岸通1丁目)に近いのでメリケン波止場と呼ばれた。同月さらに宇治川尻のもと北前船囲場にも荷揚げ場を設けている。

 これら埠頭がそろったうえで、兵庫裁判所は閏4月12日「外国人荷物陸揚・船積規則」(波止場規則)を定め、それには設置の順番どおり第一から第四波止場の名前で、貨物積卸しの規則を定めている。その概要は

(1) 東・西運上所前の第一・第二波止場で荷改め済みの貨物は便宜によって第三、第四波止場(鯉川・宇治川尻)で船積みする。
(2) 他港で納税未済の貨物については第一または第二波止場で納税する。
(3) 他港で納税済みの貨物は波止場四所のどこでも陸揚げできる。
(4) 以上の規定による貨物積卸しの免状は、第一・第二波止場前の運上所で受け取る。
(5) 規則違反の荷物は没収する。

となっている。なお、この埠頭の番号については、明治7年(1874年)以降、東から数えた順番に改められている。

 とはいえ、内国船の着岸は自由であり、外国人には借地先海岸の使用権(海岸便利権)が認められていた。そこで例えばアメリカ領事や同国のライオンズ商会が雑居地海岸通の石垣にはしごをかけて昇降し、同じくアメリカ商人ケイズなる人物が自宅前に桟橋を設けて大坂、神戸間を往来する蒸気船、大坂通船の船客を通行させたとある。しかし、裁判所はこれを拒否できず、波止場規則の厳守は困難であったようである。

 つぎに、当時居留地の東に隣接して運上所の前面の海に流入していた生田川の改修問題がある。生田川は、通常は枯れ川であったが、大雨になると居留地に氾濫し、土砂を港域に押し出していた。そこで、まずその堤防の補強が外国居留民の強い要求になったのである。県は抜本対策として、熊内から脇浜村先まで新川敷を付け替える計画をたてる。    

 明治3年閏十月外務大輔寺島陶蔵が民部・大蔵両省官吏とともに現地を視察し、明治4年2月には政府の認可が出ている。工事は、和歌山出身で、神戸西之町(海岸通4丁目)の材木商、加納宗七が請負うこととなり、3月10日に着工し6月9日に竣工している。この工事でつぶした土地は六反六畝、移転家屋は14戸に対し、旧川敷に47,167坪の新しい埋立地が完成した。その南端を運上所用地として、あとは街路と払い下げ地48区画にあて、その中央道路以西が加納町と命名されている。こうして居留地の水害防止と港湾基部の整備も一応の達成をみたのである。

 一方、外国人居留地は、慶応4年、1868年7月21日に伊藤俊輔が居留地地図各一張を贈ってその竣工を通告している。居留地借地権の競売は、双方の合議で期日を定め、24日に東運上所で外国局地所掛の管掌によって実施されている。そこで決定したのは地域の西南部、海寄りの36区で、全体の3分の1を占め、あとは明治2年4月に25区、3年4月に60区、6年2月、補充的に5区と前後四次の競売で計126区になる。

一次競売のあと慶応4年、1868年8月23日に知事と居留民代理の米・蘭両国領事に、プロシア人シモンも立ち会った会議で、「兵庫大坂居留地約定書」に基づいて日本政府の負担する営繕諸事項などを具体的に確認している。10月には居留地評議員の最初の選挙で、イギリス人K・R・マッケンジーJ・S・プイテンホルグ、アメリカ人P・ハイノメンの両氏が選出されている。彼らはそれぞれグラバー、スミス・ベーカーなど有力商社の社員である。

 商館などの建築は海岸通から進捗し、9月竣工のグッチョウ商会の倉庫を最初に、シュルツ・ライス、クニフルなど諸社が続いて、明治2年4月前後には一次競売区画の建築はほぼそろっている。市街計画は行司局所属のイギリス人土木技師J・W・ハートによるもので、中央に幅27.4メートルの京町筋をはじめ東西に東から東町、伊藤町、江戸町、浪花町、播磨町など8本、北からは裏町、北町、中町、前町、海岸通の5本の道路が走っている。街路には、赤レンガで舗装された歩道やアカシヤとヤナギの街路樹が整い、すべてが居留地外の世界とは対照的な美しさである。そこに多くは木骨瓦張・漆喰塗2階建てで、通りに面して丸柱の並んだベランダを持つスタイルが姿を見せている。荷物を満載した荷車にまじって、弁当もちで近在から見物に来る人々が跡を絶たない。明治5年にはそれぞれ街路名も定まり、公園も西町のパブリック・ガーデン、海岸通の遊歩公園(バンド)が設けられている。

 この遊歩公園は、昭和39年12月、浜手幹線の改修工事に際し、交通量の増加に伴い、とうとう取り壊され、アスファルトが敷かれてしまった海岸通りの緑地帯である。海岸に沿って商館や領事館が建ち始めた当時、通りと海岸の護岸との間には芝生が植えられ、ベンチが置かれている。昼は子供たちの遊び場であり、夜は着飾った紳士、淑女が散歩をし、時には軍楽隊の演奏会が開かれる憩いの場となっている。

 東辺の旧生田川堤跡の番外地も行司局管理の運動遊園とし、これは外交手続きを経て「内外人偕楽遊園」となっている。やがてこの付近に協和集会所(フォーリン・クラブ)や競渡船社中(レガッタ・クラブ)などの社交・スポーツ諸施設も備わる。なお、米・英・仏・蘭とプロシア・デンマークと各国領事館が順次開設され、当初はいずれも居留地界の外辺に所在している。新天地をめざしはるばるやってきた外国人たちの「最後の安眠の場」外国人墓地も、旧生田川の東、脇浜村に属した小野新田、もとのニューポートホテル跡地あたりに造られている。外国人墓地は、明治2年10月、県が約7,200平方メートルを買収して無税で外国人に賃貸しているが、海に近く、堤防の下なので雨が降れば水浸しとなり、キツネがたびたび掘り返したという。この外国人墓地は、昭和14年に、現在の再度山の広々とした土地に移り、より安らかな眠りを提供するようになる。

 「ウシの肉を食べるなんて、おおいやだ」世界に誇る神戸の牛肉も、明治初年まではゲテモノ扱いである。とくに兵庫地区の住人は、古いエリート意識からか、長い間牛肉を拒否、兵庫地区には一軒の店も開かせない。これに比べ神戸地区は何といっても新開地である。開港直後、居留地に露天風の肉屋ができ、たちまち日本人の間にも普及していく。明治2年になると、「関門下の月下亭」という店が元町通6丁目に出現し、神戸見物の人々で連日賑わっている。通称「月下亭(別名 月花亭)」と呼ばれ、おもに肉ナベを食べさせている。

 元町通7丁目に今も続く「大井肉店」は明治4年の開店である。こちらは肉の切り売りが主であるが、その後、楠公さん付近が神戸の中心として賑わうようになり発展し、明治20年ごろ木造2階建てアーチ型玄関のついた洋館を建築している。窓には、色どりも鮮やかなステンドグラスをはめ込み、1階の売り場カウンターもガラスで囲ったモダンなつくりである。2階は接待用の客室で、神戸を訪れる名士に最高の「神戸肉」を試食させている。もちろんハイカラの初代兵庫県知事伊藤俊輔(博文)は、たびたび訪れている。

 ところで「神戸肉」として外国にまで知られるようになったのは開港の前からである。食生活に肉を欠かせない西洋人は、日本に来てもまず牛肉の確保に努めている。慶応年間、横浜に外国人が増えて肉不足となり、ある外国船が神戸で買って横浜に運んだところ、横浜のものよりはるかにうまい。たちまち評判となり、はるばる買い付けに来るようになったのである。

 最初、兵庫沖に停泊した軍艦の乗組員が、付近の農家に買出しに行くが、いやがって売る者がいない。しかたなく長田村の牛商人を説得して売らせ、生きたまま艦内に運んでいる。ところが日本人としてはこの商売が案外もうかることがわかってきて、和田岬の松林の中などでこっそり取引し、その場でト(屠)殺して船に運ぶようになるのである。

 明治元年、ある英国人が英国政府から年100頭のウシを供給するよう命じられ、神戸の高松助次郎という人物に資金を貸して買い入れに当たらせている。これを後に守谷類蔵が引き継ぎ、各地の牛馬商と特約し神戸に送らせ、船で横浜、東京方面に積み出すルートを開いている。神戸ウシの産地は、但馬、丹波地方が主力だが、淡路、四国、中国も含まれており、最初から食用に適していたうえに早くから外国人の指導を受けたこと、また但馬など産地の業者と、神戸の販売業者が一体になって養育に努めたことから名声を高めたのである。

 大井肉店を始めた岸田伊之助も土地の百姓であったが、外国人に納入を頼まれたのがきっかけで牛肉商になっている。はじめのうちは外国船への納入だけであったが、一般に普及するようになって小売を始めている。初代伊之助は生きたウシを見て肉の重さをピタリと当てたといい、但馬はもとより、遠く広島方面まで足を伸ばして買い付けに当たっている。当時のウシの輸送は「追い子」と呼ばれる人間が一人4、5頭ずつを受け持って何日もかけて歩いて運んでいる。牛肉の味噌漬けやつくだにを作り出したのも伊之助である。明治も10年ごろになるとスキヤキが盛んになり、店も増えるが、残念ながら前述した当初の「月下亭(月花亭)」はその後明治19年ごろに焼けてしまっている。

 神戸牛のおいしさは、その味だけではなく、どうやら歴史という名の「うまみ」が効いているようである。



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今月の貿易統計

 

 

【2005年8月分】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/01shiryo.htm
                   
神戸港 輸出 4,180億円 (前年同月比+  4.5%) 21ヶ月連続プラス
輸入 2,208億円 (    同  + 17.6%) 15ヶ月連続プラス
全 国 輸出 5兆2,192億円 (    同  +  9.1%) 21ヶ月連続プラス
輸入 5兆1,030億円 (    同  + 21.1%) 18ヶ月連続プラス


一口メモ    
  ・ 神戸港における輸出入の総額は6,388億円(前年同月比8.7%増)と、21ヵ月連続プラスとなりました。
  ・ 輸出額はアメリカ向けの医薬品などが減少しましたが、タイ向けの原動機、中国向けの半導体等電子部品などが増加したことから、前年同月比4.5%増の伸びとなりました。
一方、輸入額はマレーシアからの音響・映像機器(含部品)などが減少しましたが、アメリカからのたばこ、チリからの鉄鋼製品製造などに使われるモリブデン鉱などが増加したことから、前年同月比17.6%増の高い伸びとなりました。
  ・ 一方、輸入額はマレーシアからの音響・映像機器(含部品)などが減少しましたが、アメリカからのたばこ、チリからの鉄鋼製品製造などに使われるモリブデン鉱などが増加したことから、前年同月比17.6%増の高い伸びとなりました。
  ・ なお、総額の全国比では、輸入価額の高騰が著しい鉱物性燃料のシェアが低いこともあり、前年同月より0.3ポイント減の6.2%となりました。このことは、出超額(輸出額と輸入額とのバランスで輸出額が超過)の割合が、全国は前年同月比79.7%減と大幅に減少しているのに対し、神戸港は同7.1%減と小幅な減少にとどまっていることにも表れています。

【貿易トピックス】http://www.kobe-customs.go.jp/80boueki/02topi_top.htm
 
 「日本が世界に誇る万能調味料「醤油」の輸出」
       
一口メモ
     
  ・  近年、海外では健康志向の高まりから日本食が健康食として注目されており、その日本食に欠かせない調味料である醤油の消費量が増加しています。昨年(平成16)は世界55ヵ国に輸出され、全国ベースでは数量・価額ともに過去最高を記録、神戸港では価額で過去最高を記録しました。

 ところで、日本の醤油の産地は何処と問われると野田や銚子(千葉県)、あるいは「うすくちしょうゆ」の龍野(兵庫県)と答える人が多いと思いますが、それでは日本の醤油発祥の地をご存知でしょうか?

 答えは紀州の湯浅(現在の和歌山県湯浅町)で、意外にも関西生まれだったのです。
 
     
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お知らせ

 

◎第7回かすたむすフェスタ 11月23日(水・祝)開催決定
  〜今年もやります!〜

 1年に1回の恒例行事となったかすたむすフェスタ!今年ではや七回目を迎えることになりました。昨年は約2千人の方が来関されました。
 昨年よりボリュームアップした内容を用意してお待ちしていますので、皆様奮ってお越しくださいませ!!

第7回かすたむすフェスタの内容

 
日時 11月23日(水・祝)10:00〜17:00
内容     神戸税関音楽隊・兵庫県警音楽隊・PFMによるコンサート
神戸税関絵画書道展の優秀作品展示及び表彰式
神戸税関館内を使ったクイズラリー
カスタム君塗り絵と記念撮影
返還紙幣展示
時計塔見学(抽選)
神戸税関文化祭(職員による作品展示)
麻薬探知犬デモンストレーション
旧税関長室・広報展示室の開放


 
昨年のかすたむすフェスタの様子はコチラ

◎神戸税関展
  〜秋から冬に変更〜

 毎年秋に行っている神戸税関展ですが、今回は、2006年2月に開催致します。毎年好評の触って学ぶコーナー(知的財産権侵害物品)をより充実させて開催する予定(会場・大丸神戸店)ですのでご期待ください。

                    前回(平成16年10月)の税関展の様子

◎「みなとKOBEの原風景」展からD

 4月30日のメモリアルフェスタでは、(財)人と防災未来センターの協力を得て、終戦直後から60年近く、神戸港や異人館等を独特のタッチで描き続けられている  元鉄道マン「宇佐美 重」氏の「みなとKOBEの原風景」特別展を開催しました。

 当日、ご来場できなかった方に、特別展で展示した懐かしい作品をシリーズで紹介します。



   
カロニア号初入港
昭和29年3月画

戦後初の豪華客船として昭和29年3月30日
英国籍「カロニア号」(3万4千トン)が新港第4突堤入港

全長280メートルの巨体は見学の人々を驚かせ、淡いグリーンの船体に赤と黒の煙突は鮮やか

船客の京都観光のため直通の京都行臨時列車が突堤から運行された

この後毎年のように世界一周の観光船が入港
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注:記事に関するご意見や投稿は神戸税関総務部広報室(koho@kobe-customs.go.jp)まで
投稿歓迎(お待ちしています)
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