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お茶の輸出

 神戸は、背後に上質茶の産地を抱えており、各国商社はその買い付けに懸命でした。横浜のアメリカ商社スミス・ベーカーなどはすでに慶応3年、1867年9月から店員の大谷嘉兵衛を大坂に派遣し、宇治茶など70万斤、26万8千両を買い付けていました。このようにスミス・ベーカーをはじめ、一群の茶貿易商社がいちはやく神戸に進出しました。
茶は、ヨーロッパ人、特にイギリス人の生活には欠かせない商品であり、茶の輸出は、神戸開港早々から始まるが、当初の5年間に6倍に増加し、全国比重は明治元年、1868年で10%あまり、明治5年で30%に迫り、神戸港総輸出額の62%、年額180万円と神戸港第1位の主要輸出品に躍進しました。その後、比率こそ下がるが、明治25年ごろまでは依然輸出品の首位を占めていました。神戸の輸出茶の出荷地域は、山城を中心として近江・伊賀・大和・紀伊・丹波・美作・伊予・筑前に渡っていました。しかし、生産者は海外の知識がまったくなく、仲買い商のいいなりでした。ところが、仲買い商は外国商館に頭が上がらず、商館番頭には法外な手数料を取られており、茶の生産から輸出の過程は開港当初の貿易の姿を典型的に示していました。

 外国商館は、明治2年から店舗や倉庫内に茶焙再製作業所を設け、明治5年には11か所を数えています。茶焙再製作業所は「お茶場」「茶倉」または「茶焙所」と呼ばれるもので、買い付けた茶に、もう一度「火入れ」をして湿気を取り、長い船旅に耐えられるようにする作業所です。

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