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港湾施設の造成

 税関も神戸開港と同時に兵庫運上所の名称で開設されましたが、慶応4(1868)年2月の再開の際には神戸運上所として開所しました。同年10月、神戸・二ツ茶屋・走水三か村が合併して神戸町となり、港も公文書に「兵庫・神戸両港」と記されています。実は当時は、開港場の神戸と非開港の兵庫とが隣接したもので、両港水域の境界線も外交上の合意による港則で確定されました。

 開港場の港湾施設は、条約上政府の義務であり、当面必要な埠頭(波止場)の造成と浚渫(しゅんせつ)は、兵庫裁判所の管轄で着手されています。波止場は艀(はしけ)による貨客の荷役・乗降場であり、運上所前のドックを基にして築いていました。さらに、神戸西本町(現在の中突堤付近)に貨物検査を行う荷改所を設け、西運上所と呼び、本局を東運上所と呼びました。内国の西洋型船舶の荷役作業は、西運上所前の波止場に限られたので、その波止場が国産波止場と呼ばれました。
 この両埠頭の中間で鯉川尻に船客乗降場を設け、それは最初のアメリカ仮領事館(現在の海岸通1丁目)に近かったのでメリケン波止場と呼ばれていました。


 外国人居留地は、慶応4(1868)年7月21日に伊藤俊輔が居留地地図を贈ってその竣工を通告しています。居留地借地権の第1回競売は、7月24日に東運上所で外国局地所掛の管掌によって実施され、計4回の競売で126区が各国人に売られました。      
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