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網屋吉兵衛と海舟:海軍操練所

 兵庫開港として、実際には神戸が開港されたのには理由があります。
 神戸は、大型艦船が安全に停泊できる泊地があり、兵庫に比べて人口が少なく外国人との摩擦回避や居留地用地確保が容易なことに加え、運上所用地や貿易用波止場として直ぐに使える海軍操練所があったことです。
 

 海軍操練所とその前章となる神戸村船たで場(ドック)について触れていきます。
 二つ茶屋(今の元町4丁目付近)の網屋吉兵衛は、兵庫や神戸に入港する諸国通いの船が、わざわざ讃岐の多度津まで修理(船底を焼燻し、貝や船食虫の付着を防ぐ)に行く不便を解消するため、神戸に船たで場を作りたいと考え、海流や潮の干満、工法等を長年研究していました。安政2年(1855年)3月、東西に110m、南北に90mと50mの大小2つの吉兵衛の船たでは完成しました。
 吉兵衛の船たで場を高く評価したのが、幕府海軍奉行並の勝海舟でした。咸臨丸(300トン)艦長として太平洋を横断した勝は、諸外国に対抗するには海軍を造ることが重要と考え、京に近く港として優れたこの地に摂海防衛の拠点、海軍操練所を造り、優秀な人材(乗員)を養成しようとしていました。
 元治元年(1864年)5月、吉兵衛の船たで場とその東約1万7千坪を用地にドックや教練所が造られ、練習船として「観光丸」「黒竜丸」の2隻の軍艦も配備され、神戸海軍操練所が開かれましたが、僅か1年も経ない慶応元年(1865年)3月に閉鎖となりました。
 この「船たで場」、「操練所」跡が整備され、開港時唯一の波止場(東西約110m、南北約130m)となり、敷地内に運上所(ビードロ屋敷)や倉庫が建設されました。また、開港後暫くの間、操練所の建物(教場)は英領事館として使われていました。

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   旧海軍操練所碑(戦艦の碇と本のオブジェ)                網屋吉兵衛の顕彰碑