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明治外交の初舞台:ビードロ屋敷

 慶応4年(1868年)1月10日、兵庫・神戸は無主の地となりました。
 開港地に完成した建物は旧海軍操練所跡にある税館(運上所)と倉庫のみでした。その和洋折衷2階建ての税館に仏、米、伊、蘭など5ケ国の公使、近くの英領事館と兵卒営所に英国(今の税関付近)が貿易権益を求めて駐留し、神戸の開港地は諸外国の支配下となっていました。

 無主の地となった翌日、神戸事件が起きました。
 1月11日、備前池田藩家老の隊列が、居留地北側の三宮神社前に差し掛かったとき、隊列を横切ろうとした仏米水兵と揉み合いとなり怪我を負わせたことから、外国公使団は新政府に対し抗議文を突きつけました。
新政府は外国関係を重視していたため、公使団が駐在している兵庫に勅使を派遣し、天皇親政を通告する手筈のところに起きた事件でした。
 勅使に加え事件解決に向けて、外国人を知っている公卿の東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を兵庫に派遣しました。14日に兵庫に到着し、15日正午、衣冠束帯姿の東久世勅使は、運上所において公使に対し、天皇親政の詔(国書)を伝えました。
 各国は混乱回避に繋がる天皇親政を歓迎し、会見は無事終了した。東久世通禧は、公使達の要請で3月17日まで兵庫に留まり、兵庫鎮台総督、兵庫裁判所総督等として、江戸から明治の橋渡しに尽力しました。
天皇が諸外国に出した初の国書、改元前だが実質的な明治外交の初舞台として選ばれたのが、各国公使の集結した神戸、しかも神戸税関の前身の運上所でした。

 運上所は、慶應3年幕府により2ヶ月強の突貫工事で建てられ、和洋折衷・総硝子張りのピードロ屋敷と呼ばれました(階下136坪、階上120坪の2階建て、図面等詳細不明)。貿易の本格化で直ぐに手狭となり、明治5年には全面改築され、翌6年末完成の初代神戸税関庁舎となりました。

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                                      初代神戸税関庁舎