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兵庫(神戸)開港 

 徳川幕府は、諸外国と約束した慶応3年12月7日の兵庫開港期限を守るため、勅許を得る前から着々と開港を準備していました。
 幕府は、勅許(慶応3年5月24日)前の同4月13日、英、仏、米の公使と兵庫の居留地を「生田川と鯉川の間」と決定しました。

 外国通の柴田剛中は7月9日、兵庫奉行を任命され、兵庫港地全形を見て、元海軍操練所や海岸等工事場所を検分し、8月29日居留地造成工事を約8万7千両で神戸村庄屋(生島)四郎兵衛が落札しました。

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                      兵庫奉行 柴田剛中(右端)(ライデン大学蔵)                    


 また、慶応3年11月19日には税館(運上所)の棟上げとなりました。その後、海浜の東南の一角に立派な和洋折衷・窓はガラス張りの運上所と付属倉庫3棟が完成、波止場3ケ所もほぼ完成し、居留地周辺には、いくつかの各国公館が大急ぎで建てられました。

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                         居留地風景(神戸市立博物館蔵)


 慶応3年12月7日(1868年1月1日)開港当日、柴田剛中は、まず税館(運上所)を開き、英、米、仏、晋、蘭等の公使・領事等出席の下、おごそかに開港式典が行われ、西洋の新年への賀と兵庫開港・大坂開市の賀を申し述べる旨の宣言書を読み上げました。
 正午、万国旗とメインマストに日の丸が掲げられた英米艦隊18隻から一斉に祝砲があり、続いて幕府軍艦3隻が応砲、計21発の礼砲は西摂一帯に4度繰り返し鳴り響きました。
港付近には、近隣からも人々が詰め掛け、艦隊の乗組員も上陸してお祭り一色となり、太陽がガラスに煌めくビードロ屋敷(運上所)目指し、誰ともなく「ええじゃないか」、「ええじゃないか」の掛け声で踊りが始まりました。

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                                ええじゃないか踊り 


 こうして兵庫(神戸)の港は世界に開かれました。

 

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                           神戸税関発祥の地記念碑