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日清戦争時代の貿易

 
 日清戦争は、韓国に対する日清両国の意見の相違に端を発し、明治27(1894)年7月から翌明治28年4月の講和条約調印まで約10か月にわたり、約2億円という戦前の歳出合計の2.5倍の戦費を費やし、兵力動員数24万人、戦傷者1万3千人に及ぶ乾坤一擲(けんこんいってき)の戦争でした。 
 この日清戦争が日本の産業や貿易に与えた影響は大きい。まず、日清戦争末期から明治29年にかけて、熱病のように各企業の勃興が起こりました。これは莫大な賠償金流入に対する期待や明治政府の積極的な事業計画などによって生じたものです。こうして戦後、銀行・鉄道・繊維工業・海運業等で事業の拡張、新設の機運が巻き起こりました。
 神戸でも、この頃、川崎重工、三菱重工、神戸製鋼などの大会社の基礎ができあがりました。川崎重工は、明治11(1878)年から東京の築地で川崎築地造船所を開業していた川崎正蔵が、明治19年に官営の兵庫造船局の貸与を受け、川崎兵庫造船所の看板を掲げたのがその始まりです。
 三菱重工は、明治20年4月、当時の三菱社社長岩崎弥之助が大蔵大臣伯爵松方正義に官営の長崎造船所の払い下げを申請し、同年6月代金45万9千円で許可を受け、明治26年頃から神戸進出を計画していました。

 大型船を自国で作る必要があると痛感していた明治政府は、戦後の明治29年「造船奨励法」と「航海奨励法」の二法を公布、自前船の育成に乗り出しました。
 造船奨励法は、民間造船所が建造する700トン以上の鉄船、鋼船に補助金を出す大型船建造助成策であり、航海奨励法は、日本の海運業者が千トン以上の汽船を外国航路に就航させるための助成策になります。
 小野浜造船所の支配人であるハンターが、明治14年4月に大阪に開いた日立造船の前身、大阪鉄工所とともにトップクラスの民間造船所三菱、川崎の三社は、この二法をバックにものすごい伸び率を示すことになります。神戸もこの二法のおかげで単なる“ミナト神戸”から重工業を持つ“近代港神戸”に変身していくのです。

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                川崎造船所

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                三菱造船所